いい男・いい女のつくりかた

tetsuo_hara2009-10-28

 風邪なのか、得意技の咽頭炎なのか定かでないが、とても体調が悪い。月曜に点滴をキメて薬を出してもらったが、いまだ快復の兆しがみられない。おまけに風邪薬に含まれる抗生物質の副作用で、腹まで緩い。はっきり言って、ブログを更新している状況ではなく、さっさと床に入れという話だ。
 日曜日に、「杉本彩ビューティートークショー」というものに参加してみた。こんなとき、どんな服装で列席すれば良いのかさっぱりわからず、とりあえずエグザイル風のハットをかぶってみた(画像)。まずはフレンチらしきコース料理が一通り出され、食欲を満たす。そして次に杉本彩の登場である。ゴールドのドレスで登場した杉本彩は、さすがに眩しいぐらいプロポーションが良い。元々のスタイルの良さに加え、姿勢が抜群に良く、ウォーキングの様子も、これは女性特有の色っぽさという部分を超越して、動物の雌が持つ官能美みたいなものを感じた。社交ダンス、アルゼンチンタンゴ、そしてコアリズムの賜物か。
 トークショーはFCTのアナウンサーと対話形式で進められた。テーマは「いい男・いい女のつくりかた」。自身がプロデュースした化粧品、ランジェリー、お茶の宣伝に結構な時間を費やされたことは少々ウザかったし、FCTのアナウンサーに踏み込んでもらいたい部分を踏み込んでもらえなかったりしてもどかしいところもあったが、それなりにためになる話も聞けた。ここで言う"ためになる話"とは、俺が思いつかないような新しい考え方とか、そういう意味ではない。俺の考え方と杉本彩の考え方がかぶる部分があって、俺の考え方もあながち間違っていないことの確証がもててためになった、という意味である。
 最も杉本彩らしかったのは、「自分に自信が持てず、何もやる気が起きません。いつもやる気満々な彩さんは、モチベーションを保つためにどうしているのですか?」みたいな質問をオーディエンスから寄せられ、それに対して「私も人間だから落ち込むこともあるしやる気が起きない時もある。しかし、前進しなければ仕方ないので自分をムチ打っている」としたうえで「私の中には『主観』と『客観』という二人の自分が常にいて、自分自身に試練を与え、自分自身でそれを乗り越える」と続け、さらに「それを私は『ひとりSM』と呼んでいる」と締めくくった。なかなか天晴れな回答である。
 それから「若いときは白と黒しか見えなかったが、今ではその間のグレーな部分が見える」とも語っていた。同じことをクラッシュのヴォーカリストの故ジョー・ストラマーが言っていて、ハタチぐらいのときにジョーのインタビュー記事を読んだ俺は、大いに感化されたのだった。杉本彩ジョー・ストラマーの、ひいてはクラッシュのファンだとは考え難いが、ジョーの言葉が巡りに巡って杉本彩のところへ辿り着いたのだろう。
 グラマラスな女性芸能人なんて掃いて捨てるほどいるし、杉本彩以上の美人だって星の数よりいるだろう。しかし、どんどん若いタレントに首をすげかえられる群雄割拠の芸能界の中で、いまだに杉本彩が重宝され続けるにはそれなりの理由があり、それを垣間見た気がした。
 どこの局がわからないが、AMラジオを聴いていたら爆風スランプの「Runner」が流れた。続いてリスナーから、ボンジョヴィの「You Give Love A Bad Name」がリクエストされたが、その番組のパーソナリティが「リクエストにお応えしようと思ったのですが、もう20年も前の曲なので、CDが見つかりませんでした」と言いやがった。ふざけるな、と思った。RunnerもYou Give Love A Bad Nameも、どちらも1986年の曲である。自分のラジオ局のCDの在庫が少ないなら、「ありませんでした」とだけ言えばいいのに、「20年も前の曲なので」と言い訳がましく、そしてふてぶてしく言い切るあたりに無性に腹が立った。ましてや、ボンジョヴィのその曲は全世界で1800万枚のビッグセールスを記録したアルバムに収録されているのだ。本気で探す気がなかったのか、よほどの弱小ラジオ局なのか。俺の家のほうがCDの枚数が多いんじゃないかと思った。
 …赤い鬼がやってくる。青い鬼がやってくる。逃げ惑う餓鬼の群れ。そうか、地獄に落ちたのだ。足元には針の山。喉元には糞の海。蛆虫を植えられて、火に投げ込まれた果ては