デジャヴ

tetsuo_hara2008-11-05

 仙台の泉に、そして那須にと我が福島県は、南北のアウトレットモールに挟まれている。3連休の初日は那須のアウトレットモールへ買い物へ行ったかと思えば、翌日は仙台のアウトレットモールへ行ったりした。なぜそんな暴挙に出たかと言えば、理由は自分にもよくわからない。仙台と那須の両方に出店しているショップも少なくなく、「あれ、これって昨日も見た景色だよな」などと既視感を覚えたりもした。それにしても仙台のアウトレットモールは混雑ぶりがすごかった。駐車場に入る段階ですでに大渋滞が起きており、渋滞中に競馬中継が始まったと思ったら中継が終わってもまだ駐車場まで辿りつけない始末である。逆に、買い物客の目が仙台に向いているぶん、ゆっくり買い回りのできる那須は狙い目とも言える。買ったものと言えば、秋冬物の洋服を数着と380円もする缶ビール十数本であった。
 仙台のアウトレットモールへ辿り着く途中で見た天皇賞は酷かった。いや、極めてレベルの高い、史上稀に見る名牝同士の対決だったのだからレースそのものは素晴らしかった。しかし馬券的には「酷かった」と言わざるを得ない。俺の推していた穴馬2頭が、下から数えて1着と2着だったというのも酷い話だ。競馬は"絶望と希望のバドミントン"みたいなものだから仕方がない。
 牧場マニアの俺に残された時間は少ない。というのは、冬季は閉鎖されてしまう可能性があるからだ。というわけで、また牧場へ行って遊んできた(画像)。スイープトウショウは主戦騎手である池添謙一の手からはニンジンを食べなかったが、俺はほとんどの馬に手からニンジンを食わせてきた。
 「栄枯盛衰」とはよく言ったもので、小室哲哉の凋落ぶりはまことに見事である。事業に手を出して失敗するのは仕方ないにしても、果たしてミュージシャンやプロデューサーとしては本当に優秀だったのだろうか。小室ミュージックは洋楽のスタイルの後追いを、さも斬新であるかのように見せる手法に長けているだけのように思える。実名は出すまでもないが、彼が発掘したとされる女性歌手の中に、確実に音痴が2名いる。小室哲哉には、間違った方向へ向かわないように舵取りのできる嫁が必要だったがそれがなかった。仮に、腹家の財布を80年間管理してきた光子さん(祖母)が小室哲哉の嫁だったならば、今も彼は安泰だったろうに。
 …皮膚の下には微かな流れが引いて寄せる。もうあとどのくらいこうしていられるかわかってる。飽きが来て戸を開け放つ時