(金が)雲の彼方に

tetsuo_hara2008-10-21

 夏ごろにREGZAを買ったものの、俺の住む村では地デジ放送がまだ開始されず、宝の持ち腐れ状態であったが、ついに先週の金曜日から地デジ放送が見れるようになった。そもそもちゃんとした説明もないまま「女子アナからデジアナへ!」などとわけのわからないキャッチフレーズで地デジ放送へ移行しようとする総務省には激しい憤りを感じていたわけだが、いざ地デジを見せられるとやはりキレイなのはいいことだなどと思ってしまう。そのほかの感想としては、エド・はるみが10歳ぐらい老けて見えてギョッとしたことと、弦哲也のカラオケグランプリ(画像)だけはたいしてキレイに見えなかったことなどが挙げられる。
 仕事のほうは新しい試みに取り組んでいるところだが、これが非常に面倒くさい。しかし、新しいことをはじめるというのは面倒くさいことではあるがつまらないことではない。おかげで、アインシュタインが舌を出したあの表情にも似た顔で、俺は今仕事と向き合えている。
 直江兼続の兜を手に入れた俺はやはり"花の慶次"を打ちにいくわけだが、結局勝ったり負けたりである。たまに千利休がカットインするので、利休と秀吉の関係について考えてみる。利休は秀吉の家来だし、所詮はただの茶坊主である。その時点で二人の勝負はついているようなものなのだ。しかし、秀吉と利休の関係はそんな単純なものではない。利休は諸侯をしのぐ実力者だったし、諸大名も無学の秀吉より風雅の利休を慕っていた。だから秀吉もやきもきせざるを得なかったのだ。大政治家の秀吉が風流の点で利休に負けたからって笑って済ませばよいようなものだが、男と言うものは何もかも勝ちつくさなければ気が済まない性分なのだ。パチンコ店と客の関係もこれと似ている。店と客、という時点で勝負はついているようなものなのだが、そんな単純なものではないのだ。ちなみに田舎の店は酷い。娯楽のない年寄りから年金を巻き上げるだけの年金収容所と化している。今は稲刈りの時期だから百姓が店に来ないので、収益をあげるために回収モードに拍車がかかっているようにさえ感じる。
 …顔を歪めて街を行く。やさしい力はどこにある? 歌はこうやって風に紛れて、誰にも聴こえないままで