俺の中に巣食う二人の天才

 ぐっとペースが落ちたこのブログ、12月も中旬から下旬に入ろうとしているのに今月はまだ4度目の更新である。ブログが世に出る前からブログのようなことをやっていたが、当時は日記という認識だったし、このブログをはじめたばかりの頃も日記という認識だった。「日記」を「ブログ」と呼んだ瞬間からどこか気取った感じになって、更新するのにわざわざ襟を正さなくちゃいけないような腑に落ちない感情が湧き起こる。日記と割り切って、気持ちを楽にすれば更新のペースも上がるのかもしれない。どうせ俺なんかに大したものが書けるわけじゃないんだし、俺のことだから走り書き程度でも物凄い深いこと書けちゃったりするに決まってるんだから。それにしても改めて"ブログ"と声に出して言ってみると、あまり格好の良い響きじゃないことに気付く。たった三文字なのに、そのうち二文字に濁点が付いている。
 この時期になると、街は完全にクリスマス一色である。イヴまでにはまだ6日間猶予があるわけで、それまでにどうにかカノジョとかカレシを作ろうと躍起になっている若人も少なくないが、それはそれでいいことだろう。逆に、受験勉強に打ち込みたいとか仕事に打ち込みたいなどの理由で今年のクリスマスを"無きもの"としている連中もいるが、それもまあいいだろう。ただし後者の場合、「ケッ、みんな馬鹿みたいにはしゃぎやがって」などと思ったり言ったりしないほうが良い。言わないほうが格好良いし、言ったら途端に格好悪い。
 毎年毎年、絶賛と大不評が渦巻き、物議を醸す俺の年賀状、製作者の立場から言わせてもらうと、産む時の苦しさと産まれた瞬間の喜びは(実際に産んだ経験はないが)赤ん坊のお産とそっくりである。もう8割方作業が終了していないといけない時期だが、俺の創造力が枯渇したのかなんなのか、逆立ちしてもブリッジしてもでんぐり返りしても仏壇返ししても良いアイディアが出てこない。やばいよ俺!! やばいのか俺!! と焦っていた。しかし、数日前ふとした拍子に"スーッ"とイメージが頭の中に入り込んできた。現在の進捗状況としては、ベースとなる部分がほぼ出来上がり、あとはスパイスを加えて仕上げるのみ。ここまで来て思ったのは、やっぱり俺は天才だったということ。まず、驚天動地の発想力が天才的であることは言うまでもないが、それを官製年賀ハガキの紙上に具現化させられるだけの技術力もまた天才的である。どちらかひとつが欠けてもあのレベルの年賀状は作れないわけで、そういう意味で俺は"奇跡の男"である。
 昨夜仕事が終わって帰宅すると、光子さん(祖母)がぶりぶり怒っていた。何やらご近所さんと駐車場のことでモメた様子で、窓の外の駐車場をずーっと睨みつけているのだ。さて、いつまで睨み続ける気か。ヒントは、先日のクラブW杯のACミラン浦和レッズ戦の中に隠されている。ゲームの中盤、ACミランがボールを支配しはじめるとそこから怒涛の攻撃がはじまった。この恐ろしい攻撃は一体いつまで続くのか。答えは「ACミランが得点をあげるまで」である。結局光子さんが睨みつけるのをやめたのは、駐車場から車をどかした時であった。その一件が終着すると、今度は印刷業者が「申し訳ございませんでした」と言いながら年賀ハガキを届けにきた。どうやら光子さん、年賀ハガキの印刷のことで印刷業者ともモメたようで、やはりぶりぶり怒っていた。俺が"腹"であるように光子さんもまた"腹"である。腹家の人間の心臓は、大部分が"怒り"で出来ている。
 通称"二本松のズラタン・イブラヒモビッチ"は、二人の女性と一緒に風呂へ入る夢を見て、朝起きたらパンツが汚れていたとか言っていた。俺は夢とか見てもあまり覚えていられない体質のようで、見た夢を覚えていられる人間のことを羨ましく思う。ショップ店員(コードネーム:カトリーヌ)へと向かう階段を駆け足で二段上がったら三段目でコケたようで、とても悩んでいた。年が明けたら元気に鵜飼漁を再開してほしいと思った。
 明日も寒いのかな。しかしまあ、猫も杓子もクリスマスが近いと馬鹿みたいにはしゃぎやがって。
 …またなんか気後れしてる。足りないものなんて気にしなくていいのに。まわりに合わせて小さくなってたのかい。限りない時間なんて早く過ぎればいいって、そう願って、いつも願って、見ていられない